国領五一郎に思いをよせて

                   くらた共子

 京都西陣が生んだ崇高な革命家、国領五一郎の軌跡と生涯は、わたくしの想像をはるかに越える壮絶さと気高さをもって胸に迫ります。

 国領五一郎が、40歳という若さで没し63年を経た今日、国領五一郎の志を受け継ぐわたしたちは、新しく発足した安部内閣と対峙しています。新内閣の要職には、憲法と教育基本法改悪の先頭に立ってきた人物が配置され、「日本の右傾化」への危惧が高まっています。

 いま、わたくしは国領五一郎が生まれ暮らし、京都の日本共産党が結成されたこの上京で、「二度と戦争はしない」と誓った憲法9条を守りぬ くことへの闘志を燃やさずにはおれません。

 わたくしは、国領五一郎たちのの先駆的活動の流れとともに無産者医療運動が起こり、幾多の困難を乗り越えて全国民医連運動へと広がった歴史を学ぶなかで、自分自身もその潮流の一滴に属してきたことに運命を感じています。さらに、地域で医療活動を行っていた時にも、国領五一郎が生きていた上京区内各地を重ねて踏みしめていたことを知り深い感慨を覚えます。

 また、西陣織物工業組合からの申し入れによる懇談を控えるなかで、現在の西陣を国領五一郎はどう分析するだろうかと考えます。労働者が高い技術をもちながらも、本業で生計が成り立たず、後継者も育成しつづけることができないなど、ルールなき資本主義経済の矛盾に伝統地場産業の混迷が深まっています。

「産地守れ、職人の技を守れ」と西陣労働者をはじめ幅広い市民の連帯で、京都市に「伝統産業活性化条例」を制定させました。

  わたくしは、産地の存続に責任をもつ業界と行政の真剣な取り組みを繰り返し迫らなければならないと思います。日本共産党を産み出した西陣をなんとしても守りたい。このことをこころに誓うものです。

 今回、元上京区仁和学区にお暮らしで、過去の国領家族を知っておられる方との面 会に望みを託しましたが、施設でお暮らしになっておられることもあり、叶いませんでした。たいへん残念に思います。


  ※国領五一郎を顕彰する京都の会 国領会 会報第5号 2006年10月 に掲載された記事より