声明 平成の愚挙・京都迎賓館 ―開館にあたって―

御苑は国民公園、建設禁止地域だった

京都御苑は元々皇室財産だったが、戦後国民に開放された。京都府は、各界各層から広く意見を聴き、永久に緑地として保存し、国民のオアシスとして開放することをきめた。そしてその旨都市計画に位 置づけ、御苑を開発から守る措置をとった。その結果御苑は戦後数十年開発から守られ、豊かな自然を保ち、いつでも誰でも利用できる市民に開かれた国民公園として整備されてきた。

みずからの決定にそむき歴史に逆行する暴挙

高まる反対世論を前に府・市・財界は何年も国と協議模索し、みずからの決定にもそむき御苑全体の都市計画を変更して御苑内建設を可能にした。それに基づき国は建設地を国民公園から削除した。


疑惑がらみで国の事業に

初め大蔵省(当時、現財務省)は、すでに東京赤坂に迎賓館があるのに、もう一つつくるのは屋上屋を重ねるムダと反対した。それで次は、当時副総理だった金丸信氏に泣きついた。金丸氏はその場で大蔵省に電話、「交通 事故にあったと思って予算つけてやれよ」と言い、迎賓館建設は国の事業として浮上した。その頃、ポンポン山疑惑の金が金丸氏に流れたと言われている。
国民のものである御苑は、こうしてその一部とはいえ、歴史に逆行し、疑惑がらみで国民から取り上げられた。

ムダと環境破壊の迎賓館

京都迎賓館は二百数十億円という多額の税金をつぎ込み、「国民公園・京都御苑」の一部を国民から取り上げ、御苑の自然を破壊しながら建設された。今後も引き続き自然への悪影響と警備による御苑利用支障が懸念される。
迎賓館はたとえ利用がなくても毎年何億円という維持費がかかる。利用されればそれだけ経費が増える。

御苑始まって以来の自然破壊

迎賓館建設は、公家屋敷遺跡破壊、饗宴場グランド取り上げ、数百本の樹木移植と古木を含む数十本の枯死、希少種植物の幾つかの絶滅、準絶滅危惧種タシロランの減少をもたらすなど御苑始まって以来の自然破壊を引き起こした。


根拠のない無責任な宣伝

京都府・市・商工会議所は、代替グランド作成、伝統産業振興、京都経済活性化、京文化発信、地元利用を宣伝した。しかし、京都経済は活性化せず、迎賓館の地元管理もだめに、代替グランドも半分の二面 に、使い勝手の悪いものになった。事態の進行は、我々の指摘してきたとおり、推進派の宣伝のほとんどが根拠のない無責任なものだったことを明らかにした。

京都御苑はみんなのもの

御苑は国民みんなのもの。今後も力をあわせ、ともに守り育てていこう。


          2005年4月10日     京都御苑への『迎賓館』建設に反対する連絡会